1896(明治29)年5月21日に公布された総督府の法令により滬尾日語傳習所が設立された。
そのとき臺灣に設立された日語傳習所は淡水の滬尾のほか台北、基隆、新竹、宜蘭、彰化(台中)、鹿港、苗栗、雲林、台南、嘉義、鳳山、恒春、媽宮城(澎湖島)の計14箇所であった。
滬尾日語傳習所は2年後に滬尾公学校と改められ、1912(大正2)年に淡水公学校と改名されている。
写真は淡水国小90周年記念誌に掲載されている1899年当時の滬尾公学校の校門、玄関である。
最後の日本人校長であった松田常己氏の後任として校長となった洪炳南氏は、横浜在住の呉さんの祖父であり、その4代後任の陳淑女女史には私もお目に掛かったが、女史も呉さんの叔母さんにあたると聞いた。