両親が結婚してからのことを両親が書き残してくれたメモから転記する(父の原稿を母がペンで謄写版刷りの原稿用紙に書いたものである)。
『最初、黒川さん(註:淡水新店街で塩屋を営んでいた)の2階に住んでいたが、三間あり、広廊下あり、ベランダありで、とても住み心地のよい家であったが、お産が近くなってからは、ばあちゃんの公会堂に来ていた。暫くして龍目井の丹羽さんの家が空いたので、そこにうつった。郵便局の近くで、裏口からは、同僚の安武さんの家の裏口に通じていた。窓側にかけひをかけ、縁先に四角な水槽を構えて、金魚を飼っていた。』
幼い記憶では表通りではなく路地に入ったところで玄関の前は狭かったが、玄関脇には虎の尾や竜舌蘭が植えてあった。
そんなところなので家の写真は残っておらず、引き揚げてから教え子の人(呂添得氏?)から2、3回「先生の宿舎」という写真を送って貰っている。
その写真も表通りから家の裏を見たもので、直感的に隣か先隣の家であろうと思っている。いずれにしてもこの一角は戦後立て替えられているので昔の家は残っていないが、このすぐ近くであったことは間違いない。
上の写真は、その家で生まれた妹の宮参りのときの写真である。
大東亜戦争開戦一周年記念日に生まれたので戦時色が窺える。
玄関には正月のしめ縄が見え、手前には虎の尾が見える。
下の写真は龍目井の家の玄関先で撮った淡水神社祭礼の法被を着た写真である。
上の写真には玄関のスライドドアのガラスが割れたとき飛散しないように内側から紙テープが貼られているが、下の写真にはそれがないのでその前年の秋祭りのときのものであろう。
背景に虎の尾と竜舌蘭が見える。
[2月21日追記]
写真の左下隅にスタンプがあることに気がついた。
「李玉(Giyokurin Studio TANSUI)」と読める。
当時の淡水の写真館であろうか?