司馬遼太郎著「台湾紀行」の鬼(クイ)の項に萬善堂が紹介されている。
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正月にきたとき、山村の道をくだるマイクロバスのなかで、蔡焜燦氏が、ふとつぶやいた。「台湾には、どんな小さな田舎にも、萬善堂という祠があります」
そう言ってから、あれもそうです、と窓外を指した。
惜しいことに、バスは行き過ぎた。
ともかくも、萬善堂という名前が気に入ってしまった。
善とは供養をし、功徳をつむ、ということかと思える。
萬とは、不特定の霊たちということだろう。
萬善堂とは、台湾の心そのもののように思えてくる。
「ゆきだおれの人の骨をあつめて供養するお堂です」と、『老台北』なら、朗々乎と言うところだが、なま身の蔡焜燦氏となると、書斎にいる人のように物静かになる。
氏の話では、山中で旅人の屍体が朽ちていたりすると、村人たちは村の萬善堂におさめ、僧や道士をよんで鄭重に供養する、といった。
(中略)
「まことに手厚くお祀りします」
と、しずかに言う。ふと、蔡焜燦氏がいう萬善堂は殷の遺風ではないかと思った。
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この話は読んで知っていた。
しかし、山深い里の話と思っていた。
淡水の「文化古蹟巡禮地図」を見ると滬尾砲台の裏通りにもあると写真入りで紹介されていた。