淡水河右岸の道路は河口の海水浴場の方から小公園を経て街の南東端の停車場の方へ延びていたが、領事館入り口のあたりで少し山側に上る道が分かれていた。
その登り坂の道は小高い丘に遮られるように右に迂回して引かれていた。
その小さな丘には稲荷神社(淡水稲荷社)が設けられており、その横に公会堂が建っていた。
本館は二階建ての日本建築で、向かって右側(稲荷社側)に煉瓦積みの洋館があった。
公会堂は商社や台湾銀行の支店や税関など社会文化活動を行っていた淡水倶楽部によって建設されたが、海水浴場と同じように淡水街の施設になっていた。
街の嘱託となって公会堂を管理していた原田ユクは、日本人の板前や台湾のコックを雇って宴会や仕出しを行っていた。
結婚披露宴も行われていた。日本料理の場合は本館の座敷で、台湾料理のときの宴席は洋館で行われていた。
両親は台湾神社で挙式したが、披露宴は公会堂で行われた。
Kさんの両親も公会堂の洋館で行われた披露宴のあと内地に赴いたという。
本館の階下にはビリヤードの台があり、二階の正面は広く眺めの良い広縁になっていた。