漁人碼頭的戰爭(http://danshuihistory.blogspot.com/)はすごいページである。
淡水の街が龍目井、烽火街、砲台埔から始まったことや、龍目井の地名の由来も開設してある。
当時、中野金太郎という人物が土地や借家を持っており、中野氏の借家から中野氏の借家に移ったことは最近知ったのであるが、その中野氏の不動産が香港のスコットランド人ダグラス・ラプレイク氏の太古洋行から引き継いだことも、このページで初めて知った。
下の写真では屋根の勾配が少し大きくなっており、寄せ棟から入母屋に変わっている。
大東亜戦争になって父は台南に応召し、母や祖母と一緒に河岸の2階建て洋館の2階に居たことがある。
上の写真の河岸にある右側のアーチの並んだ建物がそれで、2階の一番左に住んでいた。
母たちは電信隊の兵隊の食事奉仕をしていた。
この建物も太古洋行の倉庫だったのだそうだが、1959年か60年頃火災で失われたという。