淡水駅から老街を行くと土産物屋や食料品市場が続くなかに鎮公所(街役場)がある。
それを過ぎてもう少し行くと、河岸に沿って川下に行く道と右手に緩やかな坂を登る道に分かれる。
その分岐のロータリーにあたる小さな植え込みのなかにマッカイ博士の頭像がある。
そこには戦前から小さな空間があった。
河岸に沿った道に、直交した道が丁字に分岐していると言うよりも川上からの道と川下からの道が突き当たったところにそれと直交した道が集まった感じで、遠景にはどちらから見ても突き当たりのように正面は建物で塞がれたように見える。
そして川上からの道と川下からの道、それと直交した道を配管継手のように結んでいる本当に狭い空間であった。
この航空写真の左上の一角に小さな三角のスペースがあるのがそれである。
当時ここを小公園と言っていた。
ここから川下に向かう道路と川に直交して緩やかな坂道との間に細い道があり、長老派教会へと導いている。
この写真は大陸から国民政府が来てから、この通りを中正路と名付けたころのものである。
手前の「中正路」という標識の立っているところが小公園であり、その奥に教会へ通じる道が見える。
その両側の建物は現在も使われている。
左に見えるコンクリートの構造物は国府軍が設けた機関銃座である。
戦前、このあたりは龍目井と呼ばれていた。
2年半違いの妹はこの龍目井で生まれた。
コメント (1)
淡水水上機場を調べていてここにたどり着きました。
単なる素人の物好き爺です。
龍目井の航空写真で港に見える2棟は何だったのでしょうか?
元は日本軍あるいは総督府の施設だったのでしょうか?
終戦直後の緑十字飛行でこの港の前に停泊している飛行艇の写真を見ました。
現在は大正末のイタリア機の淡水到着について調べています。
投稿者: よし | 2013年03月17日 18:46
日時: 2013年03月17日 18:46