油車口は淡水市街から河口の海水浴場の方向の地名である。
紅毛城から川下側の遠からぬところに「血清」があった。
更に行くと清仏(清法)戰争のあとに構築された滬尾砲台がある。
1939年頃その傍に淡水神社が建てられた。
河岸道路に面して石造の大鳥居があり、石灯籠があった。
そのそばにはグランドがあったらしい。
道路に沿ってもう少し行くと「無線」があり、河岸には当時から小さな燈台があった。
これも送って貰ったものであるが良い写真である。
自転車で菅笠の男が淡水の方に向かっており、河岸にはガードレールもない。
河原には漁りをする人影が見える。
小魚か蟹を採っているのだろうか、貝掘りをしているのだろうか?
淡水の蛤(ハマグリ)は旨い。
沖には中洲も見える。
幼い頃、父がよく自転車で海水浴場に連れて行ってくれたという。
いつも、油車口のあたりでハンドルにもたれて眠ってしまったらしい。
家に帰ると自転車に跨がったまま「おーい」と母を呼び、母が降ろしてくれたそうだ。
いま淡水神社のあったところは忠烈祠となっており、最近この近くに日本家屋が内地から移築されたという。