1991年7月に発行された「日本の客船[1]1868−1945:海人社刊、野間 恒・山田廸生共著」には台湾航路に就航した約30隻の貨客船の要目、航路、運航実績などが写真と共に掲載されている。
全部を紹介するスペースはないので船名、船主、総トン数、航路などを紹介する。
「須磨丸」大阪商船、1563トン、1896年5月に開設の大阪・台湾線に配船
「安平丸」大阪商船、1698トン、1897年4月に開設された神戸・沖縄・其隆航路に就航。
「基隆丸」大阪商船、1673トン、「安平丸」の2番船
「淡水丸」大阪商船、1674トン、「安平丸」の3番船
「臺北丸」大阪商船、3300トン、神戸・基隆線就航予定(回航途中遭難)
「臺中丸」大阪商船、3213トン、「臺北丸」の2番船
「臺南丸」大阪商船、3176トン、「臺北丸」の3番船
「宮島丸」大阪商船、1592トン、「須磨丸「明石丸」と組み、神戸・高雄間に月3回。
「明石丸」大阪商船、1571トン、1898年から神戸・高雄線に就航
「臺北丸」大阪商船、2794トン、1910年、横浜・神戸・基隆・高雄間に就航。
「臺東丸」大阪商船、1944トン、1901年、神戸・高雄線に就航
「吉野丸」近海郵船、8998トン、1921年、台湾航路に就航
「さくら丸」帝国海事協会、3205トン、1901年、門司・基隆間に就航(2昼夜)
「うめか香丸」帝国海事協会、3273トン、「さくら丸」の2番船
「桃園丸」大阪商船、3460トン、1915年、台湾航路(横浜・神戸・基隆・安平・高雄)
「宮古丸」大阪商船、1013トン、那覇・基隆、阪神・名瀬・那覇などに就航
「八重山丸」大阪商船、「宮古丸」の同型船
「中華丸」山下汽船、2191トン、内地・台湾、基隆・ハイフォン間に就航
「華南丸」山下汽船、2192トン、「中華丸」の2番船、内地・台湾線に就航
「大華丸」山下汽船、2197トン、「中華丸」の3番船、内地・台湾線に就航
「蓬莱丸」大阪商船、9192トン、1924年6月より神戸・基隆線に就航
「扶桑丸」大阪商船、8188トン、1924年から神戸・基隆線に就航
「高雄丸」大阪商船、4282トン、横浜・高雄線に就航、博多、鹿児島に寄港
「恒春丸」大阪商船、4271トン、「高雄丸」の2番船
「瑞穂丸」大阪商船、8511トン、1927年神戸・基隆線に就航
「大和丸」近海郵船、9655トン、1928年神戸・基隆線に就航
「吉野丸」近海郵船、「大和丸」の姉妹船
「朝日丸」近海郵船、8998トン、1928年台湾航路用に伊船を購入
「高千穂丸」大阪商船、8154トン、神戸・基隆線向けの新造船
「富士丸」近海郵船、9138トン、神戸・基隆線用新造船
「高砂丸」大阪商船、9315トン、「高千穂丸」の拡大改良型
1897年には日本郵船が淡水・福州航路、香港・淡水航路を開設し、1899年には大阪商船も淡水・香港航路を開設しているが、その頃から淡水河の堆積が著しくなり、大型船の入港は基隆にシフトしたものと思われる。