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三芝国民小學

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三芝は淡水鎮の北に隣接する集落(郷)で、当時は小基隆とも言っていたようである。

台湾で最初の医学博士である杜聡明博士や、台湾人として初めて総統となった李登輝博士の出身地である。

三芝国小の歴史を遡れば1911年に老梅公学校の小基隆分校として開設された。
そして翌年には小基隆公学校として独立し、老梅公学校は小基隆公学校の分校になった。1913年には北新庄分校が設けられたが老梅分校、北新庄分校は1921年にそれぞれ老梅公学校、北新庄公学校として独立した。
小基隆公学校は1941年に三芝国民学校と改称された。そして1945年に中島一夫校長から洪擧桂校長へ引き継がれている。


臺北縣三芝国民小學創校百周年記念特刊の巻末には老梅公学校の小基隆分校として設立されて以来の歴代教員の赴任離任年月日が載っている。
それによると1911年から1945年末までに108名の教員の氏名がここに在籍しそのなかに33名の日本人の名前がある。
その中の一人、山城安次郎氏は広島で開催された淡水会に娘さんと出席していたのでご挨拶した覚えがある。
髙鍬先生の名前はときどき母が話してくれた三芝のはなしの中で聞いたことがある。

当時の三芝は田舎であった。

国民学校のそばに教員の宿舎があった。

あたり一面の水田に蛍が乱舞していたのを覚えている。

勤労奉仕で母が稲刈りに行き怪我をしたこともあった。

近くに製パン工場があり、時間によって旨そうな香りが漂ってきた。

ミッセンを作る作業場もあった。ザボン(ブンタン/ボンタン)の皮を砂糖漬けにしたものである。

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いま、三芝国小は大きな学校になっている。
創設百周年を記念して立派な校史文物館が出来ていた。

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まわりは建物が建て込んでおり郵便局や警察の分駐所、郷公所などがあって賑わっており当時の面影を偲ぶことは出来ない。


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2010年11月19日 11:19に投稿されたエントリーのページです。

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