戦前、淡水と台北との間に鉄道が敷設されていた。
1908年4月の基隆と打狗(現・高尾)を結ぶ台湾縦貫鉄道の開通に先立って1901年8月に開通した。
台北駅から大正街、雙連、圓山、宮の下、士林、ロ其里岸、北投、江頭(現・関渡)、竹圍を経て淡水に至る。
1916年に北投から新北投線が営業を開始しているが、この年淡水線で脱線事故があり、列車が墜落した。このときは怪我人二十余名であった。
1932年には台風のため関渡・竹圍間で列車が転覆し、41名の人が溺れて亡くなっている。犠牲者の中には台北まで汽車通学をしていた学生も含まれている。
日本の鉄道唱歌は334番までありよく知られていたが、台湾にはこれに匹敵する「台湾周遊唱歌」というのがある。
この唱歌は90番まである。
当時まだ台東線や宜蘭線に鉄道が敷設されていなかったから周遊唱歌としたのだろうか?
この中には台北、圓山、士林、北投、江頭などと共に淡水を謳った歌詞があるので紹介する。
(17番)屋上高く ひるがえる 同盟国の旗じるし
問わぬ先にも 知られたり 大英国の 領事館(18番)三百年の その昔 万里の波を 凌ぎきて
武威を振ひし イスパニア サンチャゴ城 此処に建つ(19番)後にオランダ 来てりしが 鄭氏代わりて これに拠る
栄枯はうつる 世のならひ 英雄のあと 今いずこ(20番)楼に登りて 見渡せば 軸艪つらねて うち集う
唐船の 数知らず 観音山下 画の如し(21番)此処の港を 船出して 海路僅かに 二百余浬
その日の中に 対岸の 厦門の港に 著かるべし(片倉佳史著:「台湾鉄道と日本人」より)
鉄道のほか淡水と萬華を往復する蒸気船も運航されていたという。