臺北縣立淡水古蹟博物館発行の淡水トラベルマップには、地図上に番号を付けて古蹟や観光ポイントが示されている。
その第一番が「淡水水上機場」である。
MRT淡水駅のそばで、竹圍から広がっているマングローブ(紅樹林)が途切れる辺りの河辺である。
ここには1940年前後に台湾で最初の水上機の飛行場で、民間にも開放されていた。
1940年11月には大日本航空の川西式大型飛行艇「綾波(J−BFOZ)」がパラオ・淡水間航空路開拓のため、横浜・サイパン・パラオ・淡水・横浜(距離:9237キロメートル)を飛行時間37時間12分で飛んだこともある。
民間定期空路が開設されることはなかったが、海軍の九七式輸送艇がシンガポールや香港から要人を乗せて飛来することはあった。
カリフォルニア在住のLCさんは飛来した飛行艇を見学に行ったことがあると教えてくれた。
いつも飛んでいたのは数機の零式水上観測機であった。
河面を切り裂くように長い航跡を残して離水し、しばらくすると同じように着水していた。
街の人は何処に引き上げられ、何処で整備されて、何処に駐機していたのか知る人は殆ど居なかった。
父が数十年後に当時を想い出して描いた地図にも駅から市場や街役場近くの水面に「水上機基地」と記している。
1945年に台湾に駐留した米軍が作成した地図にははっきりスリップウェイと5機程度の駐機スペースが描かれている。
インターネットでグーグルの航空写真を見ればスリップウェイから駐機スペースまで台車に載せて移動した誘導路はそのまま道路として利用されているようである。
何時だったか郵便局前面の川に零式水上観測機が事故で沈み、裸になった水兵が潜ってロープを掛け引き上げたのを間近で見た覚えがある。