公会堂から龍目井に引っ越したあと、三芝に転勤になった。
私の幼い頃の記憶では、家族が引き揚げ前に住んでいたのは英国領事館の近くであった。
英国領事館のあとは現在、隣接している紅毛城の古蹟に含まれている。
引揚後に現地から送って貰った写真のなかに「1987/5/1、旧淡水小学校校長宿舎付近」とメモされたものがある。
人物は送ってくれた呂添得氏であろう。
小学校長の宿舎であろうと思われる塀から幹線道路まで下り坂になっている。
このすぐ上に真理大學の礼拝堂があり、1995年に訪れたときにはドレスを着た人をフォトスタジオのスタッフが撮影していた。
そして下り坂を降りたところは区画整理され現在何も建っていない。
幼児の頃の記憶だけでは心許ないので、以前から何か手掛かりがないかと捜していた。
ところが最近、ボストンの博士から戦前の写真を載せたウェブページのURL(http://tw.myblog.yahoo.com/tamsuitms/)を教えてもらった。
そこには公会堂やその周辺の写真とともにこの坂の様子の判る写真が載っていた。
これは工事中の坂道の途中から見下ろした写真である。
そして下の写真は河岸側から同じ場所を見上げたものである。
微かな記憶ではこの正面に建っている家の位置あたりではないかと思う。
すぐそばの生け垣をくぐって領事館の庭に入ったような気もする。
我々の住んでいた宿舎は淡水に土地や建物を持っていた富豪、中野金太郎氏の所有であったという。
終戦になり、父もここに復員してきた。
その頃の記憶では、家の前で遊んでいて道路に転がり出たボールを国府軍の兵士が拾ったのでどうしようかと思ったが、父が出て行くとその制服がニコニコして返してくれたことがあった。
すっかり忘れたと思ったことを想い出すこともあるものである。