淡水街の河口よりの油車口から少し登ると、有名な台湾高爾夫倶楽部(台湾ゴルフクラブ)がある。
1919年に台湾に最初に設立されたゴルフクラブである。
地元の人は淡水球埔と呼ばれていた。
古蹟めぐりのバスに乗ると、このゴルフクラブの入り口まで連れて行ってくれる。
そのゴルフクラブの入り口左手に小さな受付がある。
「滬尾砲台」の受付である。
その前に行くまで何があるのか判らなかった。
その左手奥に古い砦が見えた。
滬尾砲台である。
「北門鎖」とある。
1883年に清国とフランスの間に戦があり、一時この辺りまでフランスの陸戦隊が上陸してきたことがある。
海防の必要性を認識した清国は、ドイツの工兵大尉マックス E ヘヒトを招聘して淡水河口に砲台を構築した。
それがこの滬尾砲台である。
今は博物館になっており、精巧な模型が設置されていた。
四周に12インチ/10インチのカノン砲や21センチ榴弾砲などが配置され、内部には弾薬庫や兵舎が設けられていた。
いま、その居住区であった隧道の中は展示室になっている。
竣工当時の淡水神社や、マッカイ博士ご一家の写真、それに当時の淡水駅の炭水補給風景など多くの写真が解説つきで展示されている。
その中には「淡中全校李姓一同記念」写真に写っている学生時代の李登輝氏の写真もあった。
当時の弾薬庫もそのまま保全されていた。
中年の穏やかそうな学芸員が我々を案内してくれた。
営庭には家族連れの見学者も見えた。
この砲台は幸いにして実戦に使用されることはなく、設計・構築の責任者であったドイツ人工兵大尉は淡水の外人墓地に眠っている。
ここを見学して一番の収穫は、淡水公会堂など当時の写真に巡り会えたことである。