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淡水の思い出(2)

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幼い頃の思い出は本当に自分で見聞したことなのか、当時のことを懐かしんで両親や祖母が聞かせてくれたことなのか判然としないこともある。

バナナを皮ごと食べてしまったことは母が笑いながら話して聞かせてくれたことであるが、公会堂の前に立っていた木瓜(モッカ・ボッコエ:パパイヤ)が食べ頃に熟れて種をとってもらってスプーンで食べたのは覚えている。

当時、露天の店先には短く切った砂糖黍や、実の付いた龍眼の枝先を束ねたものを売っていた。

南京豆売りが「トータウよ、ナンキンマメよ」と大声で売り歩き、新聞紙をコーン状に丸めてはかり売りしていた。

夕方には按摩さんが笛を吹きながら街を歩き、「按摩さん!」と声が掛かると呼ばれた家に上がり、肩や腰を揉んでいた。

祖母や母の話では、もう床についていた夜中に按摩さんが寝室に「おばあさん、按摩揉みましょうか?」といって入ってきたと言うのである。

夜も雨戸を閉てることなどなかった「古き良き時代」の話である。

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2010年11月09日 11:14に投稿されたエントリーのページです。

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