2014年01月06日

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渡洋飛行への挑戦(飛行機射出用カタパルト)

Heinkel_k_1.jpg

ホルマンの著書によれば、艦船上から飛行機を射出するカタパルトを考案したのはドイツの造船技師ウィルヘルム・シュタインだという。
第一次大戦中の1915年のことである。

この案をベースに大戦後、飛行機メーカーを設立するエルンスト・ハインケルが協力して海軍工廠で試作された。

1929年に竣工した北ドイツロイドの高速客船「ブレーメン」には、郵便を一足早く目的港に届けるための水上機用にK2型というカタパルトが設置されていた。
同時竣工の予定で建造されていた姉妹船「オイローパ」は艤装中の火災のために就航が遅れたが同船に搭載されたカタパルトは改良されてK3型となっている。

ルフトハンザは航空郵便を南米に届けるためにアフリカから飛行艇ドルニエ・ヴァルを定期運航させたが航続距離の不足を補うために、北ドイツロイドから貨物船「ヴェストファレン」をチャーターし、これに大型カタパルトを設置し、燃料補給ののち射出したがこれはK6型であった。

後日、貨物船「シュヴァーベンラント」にもカタパルトを設置し、4発の大型水上機ブローム・ウント・フォスHa139を運航させている。

写真は同じ飛行機設計者のフォッカーと一緒に写ったハインケル(左)であるが、背景は客船「ブレーメン」のカタパルトと思われる。
フォッカーは同大戦後、ドイツで飛行機の製造が禁止されるとオランダに移転した。

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