2013年01月22日
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権現山毘沙門台
住んでいる地区から北北西に直線距離で数キロのところに権現山がある。
標高は400メートル足らずで頂上まで舗装された林道があり、展望の良い散策路になっている。
麓には毘沙門台(緑井町)などと言う団地が連なっている。
その団地から山襞を登って行くと毘沙門堂が建っている。
近くには五重塔も建っているがぼんやり見上げていたのでは見落としてしまう。
緑井出身の原田勉氏(「酔心」を始めた初代会長)が建立した毘沙門天堂原爆犠牲者慰霊多宝塔である。
昭和59年1月に建立され、当時の広島市長荒木武氏が慰霊の文字を揮毫している。
緑井、八木、川内三村の原爆犠牲者は建物疎開作業中の川内村義勇隊員を含め、およそ400名と言われている。
また被爆後1400名がこの地区まで逃げてきて350人が亡くなったそうだ。
これら多数の原爆犠牲者を供養するために多宝塔を建立しようという声が1953(昭和28)年頃から上がり、1983(昭和58)年に毘沙門天堂建設委員会が組織され翌年完成した。
毘沙門台という地名の由来も知らない人が多い。
写真は今日、雨上がりに山頂が見えたのでスナップしたもので、右に写っているのはTV送信塔である。
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