2013年01月20日

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船体基本設計にコンピュータが採用されはじめた頃

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一昨日のこの欄で、造船設計部の設計業務にコンピューターを使い始めた当時のことを書いたので、思い出してみた。

船体形状、特に喫水線以下の部分はその船舶の特性に応じて、造船所が決めていた。
この形状により、載荷能力も船速も横復原性能も決まっていたので非常に重要である。
船体抵抗により推進性能も左右される(契約した速度が出なかったために引き取りを拒否された船もある)。
また、容量が少なく、載荷重量や容積が契約値に足りなかった場合には大幅な値引きを要求される(オーバーした場合の割増はなかったが、造船ブームなど売り手市場の場合は船価が割増させたこともあり、その時は当然大きめに造られた)。

このため、船型を確定することは非常に重要で、大手造船所には大学(工学部・船舶工学科、造船科など)にも設置されていなかった船型試験水槽を備え、大型曳航模型を使って新船型の開発や、厳しい性能を要求された船舶について抵抗や推進性能を予測していた。旧海軍は目黒に長さ245メートルを超える試験水槽を持っていたし、運輸省も目白や三鷹に水槽があった(東大の試験水槽は85メートル)。
日本最初の試験水槽は三菱長崎に1908(明治41)に完成している(長さ120メートル)。

建造する船舶の主要目が決まると船型を決める必要があった。
完全なアナログ作業である。
水線下の体積を満たし、何処を縦、横、斜(ダイアゴナル)に切ってもスムーズな曲線でなくてはならない。
やっとまとまった曲面の体積をインテグテータなどで計測すると不足したり過大であったりすると補正されるが、局部的な補正ではスムーズな曲面にならない。

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やっと、案が決まると船倉割が待ち構えている。

積荷を満載すると、甲板に張力が働き、船底外板は圧縮を受ける。
積荷を半載すると、空倉と載荷倉の間に大きな剪断力を生じる。

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このように船体を1本の梁と見なして曲げモーメントや剪断力が許容範囲に収まっていることを船主工務部や監督官庁、船級協会に認めて貰うことで新造船の計画は始まる。

我々が入社した頃には、プラニメーターやインテグレーターはあったと思うが、さすがにもう使われてはいなかった。

しかし、タイガーの手回し式卓上計算機は部に1台あった程度で、重量計算も強度計算もすべて計算尺で行われていた。

コンピューターを計算業務に応用し、計算尺で済ませている演算を機械計算させるにはラインズから膨大な点群の三次元座標を読み取り、入力しチェックしなくてはならなかった。

設計部にいる間に数多くの設計、計算、作図用プログラムを開発したが、最初に取り組まねばならなかったのは船体縦強度計算プログラムであった。

入力データの作成とチェックに数日掛かり、曲げモーメントや剪断力分布を求めるのに、1ケース45分くらい掛かったので、ロンドンなどのネゴチームから数ケース追加計算を求められると計算機室に泊まり込んで見届けたものである。

当時の電子計算担当の技師は、コンピュータに付き合っているあいだ、碁盤を持ち込んで囲碁に取り組んでいた。

造船所で囲碁大会などがあるとトップはいつも電子計算係であった。

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