2013年01月14日
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短歌集
今朝は昨夜からの雨が続き、午後2時を過ぎてやっと気温が10℃を上回ったので部屋に籠もっていた。
本棚を見ると、短歌(和歌)に関する本が何冊か目についた。
中西進著「万葉の秀歌」、義原ミヤ子編「榕樹の歌人たち」、田所泉著「歌くらべ:明治天皇と昭和天皇」などである。
万葉のころの和歌は、五音・七音・五音・七音を3回以上繰り返し、末尾に七音を加えた長歌も多かったが、その後五・七・五・七・七の短歌が主流となった。
万葉集には、額田王、柿本人麻呂、大伴家持、山上憶良など各層の人々の朗々とした秀歌が納められている。
田所氏の著書によれば、明治天皇の詠んだ和歌の総数は九万三千三十二首と言う。
驚きである。このうち「明治天皇御集」には千六百八十七首が載っていただけであったが「新輯明治天皇御集」には八千九百三十六首が収載されたという。
明治天皇の御製は明治12年以降は春、夏、秋、冬、恋、雑に分けて収録されているが、上記総数を見たときは驚きであった。
歌に詠まれている対象は広いが、国の統治者であり、歌を詠む心のゆとりも時間もなかった時期もあった筈なのにこれだけの御製を残していることに驚いたのである。
欧州各国の国王や皇帝で、短い詩にしてもこれほどの創作をした人が居たのだろうか?
万葉集や天皇の御製とは全く別次元のような歌集が「榕樹の歌人たち」である。
義原ミヤ子女史は、榕樹の繁る南海の徳之島で、昭和39年に雑誌「主婦と生活」の短歌欄に投稿して受賞したことをきっかけに短歌の会が始まり、昭和43年に同行4人で歌集「胚芽」が創刊され、その第11集から「榕樹」と改められたものである。
そこには島に活きる人たちの生活や心情が詠われている。
惰性に流されないためにも、書や歌集を読もうと思う。
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