2012年08月17日

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ホテルシップ「VICTORIA」の想い出

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「大雪丸」という青函連絡船がいた。
初代はGHQの許可を受けて戦後建造した洞爺丸型の第4船であった。

ここで取り上げるのは二代目「大雪丸」で、津軽丸型の第4船であった。

三菱重工業横浜造船所で建造された(1964(昭和39)年7月7日:起工、10月30日:進水、翌年4月20日:竣工)。

1965(昭和40)年5月16日に就航し、1972(昭和47)年1月20日には札幌オリンピックの聖火を運んでいる。

1987(昭和62)年4月に国鉄民営化に伴い北海道旅客鉄道に継承され、船籍港が東京港から函館港に変更になった。
そして翌年1月6日に法定検査の有効期限が満了したために運航が停止された。

1988(昭和63)年3月にJR北海道から東京ホテルシップ(株)に売却され、日本鋼管の造船所(横浜市鶴見区)に曳航されたが、東京湾浦安沖に停泊営業の許可が下りず1993(平成5)年、東京ホテルシップが倒産し、同船は日本鋼管に放置されたため1996(平成8)年日本鋼管が解体を発表した。

これに対し長崎のハヤシマリンカンパニーが海上ホテルとして同船の購入を決定し、改装後長崎市に曳航されて同市小曽根町で海上ホテル「ホテルシップヴィクトリア」として開業した。

2003(平成15)年7月31日、ハヤシマリンカンパニーが倒産し、同船はソラーレホテルズアンドリゾーツが購入し、翌年ホテルシップとして営業を再開した。

2005(平成17)年12月20日にホテルシップの営業を終了した。

2008(平成20)年5月にスクラップとして中国に売却された。
中国はスクラップにすると言って中古船舶を買い込み、展示船にしたり、現役の航空母艦にしたりするが、同船は福建省に回航された後、嵐で座礁したところまでは報道されたが、その後の動静は不明である。

私は長崎で営業しているときに同ホテルシップには2度、宿泊している。
1度目は右舷側の洋室、2度目は左舷側の和室であった。

見出しの写真は、営業終了前に宿泊したとき貰った切り絵集と、そのときの塗装の同船のキーホルダーである。


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