2012年08月08日
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67年前のこの日
当時のソヴィエト連邦は4月6日に、日ソ中立条約を延長しないことを一方的に決定し日本に通告していたが、連合軍側が沖縄に上陸し広島に原子爆弾が投下され、ポツダム宣言が発表された後の8月8日に日本に宣戦布告し、翌9日には朝鮮の羅津港に停泊していた日本船舶に爆撃を行い、延宝丸、襟裳丸、枝光丸(何れも戦時標準船2A型)などが被爆大破し、10日に放棄された。
挿絵は戦時標準船2A型のシルエットである。
当日、ソ連機の攻撃を受けたのはほかにも居る。
日本海で食糧の輸送を行っていた大阪商船の「めるぼるん丸」もイリューシン爆撃機の来襲を受けた。前日の対日宣戦からすぐに攻撃を受けるとは思わず、友軍機とし思って眺めていたという。
2等運転士など3名が戦死した。そのうちの一人は羅津病院に入任中、ソ連機の機銃掃射で殺されたのである。
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