2012年01月09日

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第一船長、第二船長、第三船長など変だと思わなかったのか?

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手許に、硬式飛行船関連の図書が四十数冊ある。
英語のものが十冊あまり、ドイツ語が二十冊あまり、それに日本語が十冊あまりである。
面白いことに、日本で発行されたもので、「グラーフ・ツェッペリン」の世界周航に関連した記載には必ず『第一船長、第二船長、第三船長』と表記している。

しかし、英語あるいはドイツ語の文献でそんな表現を見たことがない。

これは、フリードリッヒスハーフェンから霞ヶ浦まで一区間のみ、新聞社の特派員として乗船した大阪毎日の北野吉内氏と大阪毎日の圓地与四松氏が使い始めたのに違いないと思っている。

同船に乗務していたエルンスト・レーマン、ハンス・C.フレミング、ハンス・フォン・シラーが飛行船船長であると聞いた同室の二人が年齢や経験から勝手に席次のようなものを考えて、原稿にレーマン第一船長などと書いたものであろう。

1993(平成5)年に「飛行船の時代」を書いたS氏も、1995年に「飛行船ものがたり」を書いたA氏も第一船長、第二船長・・あるいはファースト・キャプテン、セカンド・キャプテンなどとそれを踏襲している。

これは各人の資格「船長」を、乗船時の職務と混同したための過ちである。
彼らは世界周航時、「当直士官」として当直に当たっていた。
水上船舶の場合は当直航海士とクォーターマスター(操舵手)がブリッジで3直勤務になるが、航洋飛行船の場合、当直船長とも言える配置が「当直士官」あるいは「監視士官」であった。

水上船舶の場合、出入港時や狭水路航行時に船長はブリッジで操船するが、それ以外では当直航海士に指揮を委ねている。
しかし飛行船の場合、片時も気を抜けないので船長資格をもった「当直士官」が3直でブリッジに常駐していた。

水上船舶でも、宇高連絡船のような出港から入港までの間は備讃瀬戸を航行する船舶を縫うように操船する必要があるので、常時3人の船長が乗務していた。

なお「グラーフ・ツェッペリン」の世界周航に乗船した報道関係者は、殆どレークハーストからレークハースト、あるいはフリードリッヒスハーフェンからフリードリッヒスハーフェンまで乗船しており、一区間だけで下船したのは日本の特派員だけである。

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