2011年11月06日
日本商船戦時船史
今日、「日本郵船戦時船史」が届いた。
1971(昭和46)年5月1日に日本郵船株式会社から発行されたものである。
開戦前の1939(昭和14)年11月21日に、イギリス東岸ハーウィッチ港沖で触雷沈没した「照國丸」(総トン数11930トン、貨客船)はじめ、終戦直後の1945(昭和20)年12月15日に鹿児島県秋目湾で座礁沈没した「伊那佐丸」(総トン数873トン、貨物船)まで日本郵船237隻、三菱汽船48隻のほか小蒸気船、機帆船などの戦時船史が掲載され、戦没者数は日本郵船4143人、三菱汽船487人、その他派遣者、徴用乗組員など87名、計4717名に上る。
1937(昭和12)年9月に香港で台風のため座礁し、曳卸しまで半年を要して長崎まで曳航されて本格的修理が行われ、1940(昭和15)年1月にサンフランシスコから帰航し、横浜入港直前に英国巡洋艦「リバプール」の臨検を受け、ドイツ人乗客21名を拉致され、1942(昭和17)年7月に交換船として東アフリカ、モザンビーク往復を果たし、1944(昭和19)年11月1日にフィリピン沖で敵潜の雷撃を受け沈没した「浅間丸」(総トン数16975トン、旅客船)はじめ戦没船の戦歴と戦死者を含む乗組員名簿が掲載されている。
上下2巻、合計2千ページにおよぶ。
こちらは大阪商船に勤務したのち、九州急行フェリーの社長を永年勤められた野間 恒氏が、上記船史を見て数年掛けて執筆された「商船が語る太平洋戦争 =商船三井戦時船史=」である。
和英併記のこの本には米独の世界的に著名な船史研究家、フランク・ブレイナード、アーノルド・クルダス、ウィリアム・ミラー3氏を含む序文が付されている。
大阪商船と三井船舶が合併したので、該書のなかでは両社の戦没311隻、5731人の乗組員について記述されている。
この本には著者の署名を貰うことが出来たことを喜んでいる。
しかしながら、日本郵船、大阪商船、三井船舶は我が国を代表する海運会社であるが、戦争の犠牲になった船舶には川崎汽船など上記以外の大手海運会社のほか、中小規模の海運会社や、いわゆる1隻船主の船も多い。
資料によると4000隻に乗り組んでいた6万人もの船員が犠牲になったという。
その死亡率は陸海軍将兵の倍を超える。
戦争は、もとより非人道的なものであるが、それだけになおさら非戦闘員や敗軍の兵をなぶり殺しにするようなことは犯罪として厳しく裁かれなければならない。
武士道や騎士道の概念のない軍事大国も多いのである。
私は戦時中大同海運㈱の貨物船やタンカーで挺身九死一生で生き残り、四苦八苦して拙い戦記を編み、愚息の協力でURLでも公開中です。
手元にはメモすら無く八方探索して資料漁りするも、大同海運には同社会長田中正之助の大同・大道等の社史がありましたが、自社戦没船関係は単なる一覧表でがっかりでした。でも、あちこちの記録をつむぎなんとか脱稿した次第です、
表題のNYKやOSK関係の著書は目を通しまして
うらやましく思いました。