2011年07月24日
カタパルトメール
先週手配した表記新刊が届いた。
執筆者は7名の切手収集家によって執筆された。
郵趣家は一般に特定のテーマを持って切手やカバーの収集を行っている。
その意味で、7人の執筆者ということに興味をおぼえた。
Y氏は船内カバー、M氏は帆船時代の海軍、W氏はカタパルトメール、Is氏は初期の米海軍、H氏は日清・日露戦争、Iw氏は戦没客船、N氏は大西洋客船史という章や節を担当している。
勿論重複する分野もあろうし、担当項目以外のコレクションもあるはずである。
この本で「カタパルトメール」という聞き慣れない言葉が出てくる。
郵便は始まってからずっと重要であった。
そして如何に確実に早く宛先に届けるかが課題であった。
大西洋横断航路が開設されたときも、年間何便かの郵便業務を行うことを条件に政府から多額の補助金が出され、それを受託した船舶は「ロイヤル・メール・シップ」と誇らしげにブルーエンサインをはためかせていた。
ツェッペリンの硬式飛行船が就航したときも、郵嚢の輸送・投下だけでなく船上で書いた葉書や封筒に船上で消印しており航行毎に特印を押印し、現在でもそれがコレクションマニアの間で人気になっている。
大西洋横断航路では各国の高速客船の間で速度競争が行われ、記録保持船はブルーリボンホルダーとしての名声を誇っていた。
当時、飛行機は性能も信頼性も乏しく、大西洋を横断する航続力もなかった。
飛行船は海上航行船舶の半分程度の時間で郵便物を届けることが出来たので、アゾレス諸島・マディラ諸島・カナリア諸島・ヴェルデ岬諸島などに郵嚢を投下するだけでなく、フックで郵嚢を吊り上げることさえしていた。
これらに対抗するために航洋客船にカタパルトを搭載し、目的港に到達する前日に小型水上機を射出し、本船入港前に郵嚢を届けることが試みられた。
これを実用化したのは北ドイツロイド社のブルーリボンホルダー「ブレーメン」・「オイローパ」である。
ドイツは、大西洋の洋上に中継船を待機させ、アフリカとブラジルの間をドルニエの飛行艇「ヴァル」で郵便飛行も行っている。
航続距離が不足するので中継船「ヴェストファーレン」や「シュヴァーベンラント」の傍に着水し、燃料を補給してカタパルトで射出するのである。
本書では、このようにして届けられた郵便物を「カタパルトメール」と呼んでいる。
当時、南米にはドイツ移民も多く、ブラジルにドイツ村のような集落も作られていたのでルフトハンザも大西洋を越える郵便飛行には力を入れていた。
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