2011年04月12日

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造船技師時代の想い出

shipyard_1.jpg

昭和30年代末から40年代前半にかけて、造船設計技師をしていた。

その頃は一般貨物船の新造は少なくなり、ばら積み専用船(バルクキャリア)や鉱石運搬船/鉱油兼用船など新形式船がどんどん開発されていた。
建造法も従来の船台上で建造する方式から地上でブロックに組み立てて船台上でアセンブルする、いわゆるブロック建造法が採用され、大幅な工期短縮も実現した。
技術的にとても面白い時期であった。

ブロックを建造する大きな溶接工場が建設されたが、建造船舶が急速に大型化していた時期であり、上の写真は主要な道路を遮断して船台上でギリギリまで大型化した専用船である。船尾は海側にゲートで拡張している。

このあとは、溶接工場の壁を破ったり、挙げ句の果てに船首を別に組み立てて進水後に接合することもあった。

艤装岸壁が足りず、2隻並行に繋留したり、それでも間に合わず、沖のブイに繋いだりしていた。

そうなると建造や溶接工法の方に技術的重点が移り、設計はルーチンワークに近い状態となった。

それで昭和45年頃、研究所に転属し、研究/開発に従事するようになったのである。

ちょうどコンピュータの実用化の時期でもあった。


Comment on "造船技師時代の想い出"

ブログ 楽しく拝見しました。

ブレーメンの同じ甲板平面図と中央横断面図(断面図のみ戦前の雑誌から複写。)
は私も持っています。
この平面図に関して不自然なところがあります。中央横断面図にはCデッキからEデッキにかけて三層分傾斜がありますが
平面図にはDデッキからEデッキにかけての傾斜しか書かれていません。(Eデッキの内側にしか破線がなくDデッキの内側に破線が無い)
トレースなどの際に省略されたりすることがあるのでしょうか。
このあたりについて何かご存知ですか。