2011年03月25日
ブログ「淡水:夕陽の美しいやさしい街」について
この「(旧)紺碧の海」と並行して標記のブログを作っている(https://www.shipboard.info/blog2/)。
昨年の10月28日に開設してから、10月31日に掲載しなかっただけで11月1日から今日まで145日間一日も欠かさず掲載している。
なかにはつまらない事や間違ったことがあるかもしれない。
しかし、決して往時のことを懐かしんだり、当時の淡水の日本人社会の思い出を語ったり、引き揚げ者の有志の任意団体「淡水会」の紹介をしようという思いだけで始めたものではない。
ボストンの博士も言ってくれるように、淡水は以前から現地に住んでいた人達と、日本から移住してきた人達が助け合って共に生活し、共にこの街を作り上げ育ててきたと思っている。
私も現地の人達のお世話になり、現地の子供達に遊んでもらった。
しかし、自分たちで持てる物だけを携えて親に連れられて700トン程の小船で引き揚げたときは6歳になったばかりで名前も覚えていないし、台湾語も覚えていない。
当時アルバムから剥がして持って帰った数少ない写真も、祖母や両親の話も現地で助け合って生活した日本人に関するものが多かった。
お世話になった李樹林医師のほかに覚えている現地の人の名前は三芝に居たとき手伝ってくれた陳スイロ(漢字不明)くらいである。
そのブログの冒頭の「はじめに」の末尾に「・・・少しずつでも情報の蓄積や橋渡しとなり、淡水に縁のある人たちの連絡や情報交換に役立つことがあればこれに勝る喜びはない。」と記したその気持ちで続けて行こうと思っている。
昨年、現地で感激の対面をしたボストンの博士とカリフォルニア在住のLCさんにはいつもいろいろなことを教えてもらって特に感謝している。
今日はLCさんから貰ったメールを掲載させて貰った。
これからも、このブログを読んで間違いや気付き事項など些細なことでもご教示戴くようお願い致します。
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