2011年02月28日
飛行船四方山話(211):「ヒンデンブルク」最初の南米航行
[区分] 運航・航行
[難易度] 中級
[問題]
「LZ129:ヒンデンブルク」は竣工した1936年に7回、翌年に1回と計8回南米航路に就航しています。その殆どの航行はフランクフルトのライン・マイン空港から発進していますが1回だけは別の発着地から発進し、帰航もそこに帰着しています。
それは何処でしょうか?
1.フリードリッヒスハーフェン
2.レーヴェンタル
3.シュターケン(ベルリン)
4.ポツダム
[答] 2
[解説]
ツェッペリン飛行船製造社の建造用格納庫は、当初マンツェルにありましたがフリードリッヒスハーフェンの街から誘致されてフリードリッヒスハーフェンに進出しました。
しかし、第1次大戦で陸海軍向けに飛行船を量産することになるとフリードリッヒスハーフェンのレーヴェンタル、ベルリンのシュターケンのほかフランクフルトやポツダムにも格納庫が建設されました。
1936年にはフランクフルトに運航用に格納庫が建設され、ライン・マイン空港となりました。
「ヒンデンブルク」は8回の南米航行では最初の航行を除いてすべてライン・マイン空港を発着点にしています。
「ヒンデンブルク」は1次航から5次航までフリードリッヒスハーフェンで試験飛行を行い、第6次航でレーヴェンタルに移送され、1936年3月26日にレーヴェンタルで3時間あまりの航行(7次航)のあとナチのための74時間にわたるプロパガンダ飛行(8次航)に離陸しています。
したがって3月31日に出発した第1回南米航行は往航が9次航(100時間40分)、4月6日に現地を発進した復航が10次航でリオ・デ・ジャネイロからレーヴェンタルまで103時間52分で帰着しています。
5月4日に同船の第11次航(7時間32分)でレーヴェンタルからフランクフルトに移送されその後はライン・マイン空港を拠点にしていました。
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