2011年01月26日

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飛行船四方山話(202):「一番乗り」のクララ・アダムス

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[区分] 人物:乗船者

[難易度] 上級

[問題]
「LZ127:グラーフ・ツェッペリン」、「LZ129:ヒンデンブルク」のほか「LZ126:ZRⅢ(米国に引き渡し後「ロサンゼルス」と命名)」にも乗船したクララ・アダムスは、誰の縁者であったでしょうか?

1.発明王エジソンの孫娘
2.ツェッペリン伯爵の遠縁
3.ヒンデンブルク大統領の従姉妹の孫
4.フーゴー・エッケナーの母方の姪

[答] 3

[解説]
世界一周飛行の途上、太平洋で行方不明になった女流飛行家アメリア・イヤハートとも親交のあったクララ・アダムスは1883年にオハイオ州シンシナティで生まれました。
40歳以上も年上の皮革会社の経営者、ジョージ・L.アダムスと結婚しましたが1929年に彼が亡くなったので、その時間と遺産を旅への情熱につぎ込みました。
1920年代から1940年代まで「一番乗りの飛行者」として世界的に有名な女性でした。
1914年3月に初めて飛行艇に乗った彼女はフリードリッヒスハーフェンで建造された「LZ126」(米海軍向けに建造されましたが、軍用飛行船の建造が禁止されていたので旅客用飛行船として建造されました)の試験飛行にも乗船しています。
これはパウル・フォン・ヒンデンブルク将軍からフーゴー・エッケナー博士にクララの紹介状が届けられたからです。ヒンデンブルクは1925年にワイマール共和国の第2代大統領に就任しました。
クララの祖母はヒンデンブルク将軍の従姉妹、アウグスタ・フォン・ヒンデンブルクでした。
1928年10月に訪米飛行の帰途「LZ127:グラーフ・ツェッペリン」に最初の乗船料を支払った女性客として乗船し、1936年5月には「LZ129:ヒンデンブルク」の処女航行にドイツからアメリカまで乗船しています。

1931年にはドルニエの巨人飛行船「DoX」でリオ・デ・ジャネイロからニューヨークまで乗船しています。
1936年10月21日にパン・アメリカンのマーチンM130飛行艇「ハワイ・クリッパー」に乗ってサンフランシスコを発ち、ハワイ、ミッドウェイ、ウェーキ、グァム経由フィリピンのマニラまで乗船しました。
1939年にはボ−イングB314「ディキシー・クリッパー」でニューヨークを出発し、KLMやルフトハンザなどを乗り継いで世界一周を果たしました。

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