2010年12月09日

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飛行船時代を実現したもう一つの要因

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ツェッペリン伯爵が飛行船を開発したものの、それを保有したり運航しようとするものは何処にも居なかったが、その需要を生み出したのがコルスマンであり、そのために製造、運航両面で飛行船は育成されていったことは先に述べた。

DELAGの株主として格納庫を建設したり都市間交通や遊覧飛行を行うことをドイツ国内各都市の市長を説得する渉外役員としてフーゴー・エッケナーがツェッペリン経営陣に参加した。

しかし揺籃期の飛行船が設計/建造技術と運用で実用化の域に到達し得たのにはもう一つ要因があった。
第一次世界大戦である。

全部で119隻建造されたツェッペリン硬式飛行船のうち「LZ1」、「LZ2」、「LZ4」の3隻は初期の試作船であり「LZ126」は賠償飛行船として新造されアメリカ海軍に納入され、旅客用飛行船は実際に営業運航できなかったものを含め「LZ6」、「LZ7」、「LZ8」、「LZ10」、「LZ11」、「LZ13」、「LZ17」、「LZ120」、「LZ121」、「LZ127」、「LZ129」、「LZ130」の12隻に過ぎなかった。

残りはすべて軍用飛行船であった。

この100隻を越える軍用飛行船により、運航マニュアルが整備され設計・運用上のチェックが行われた。
その大半は海軍船であったが、フーゴー・エッケナーは民間人ながら海軍飛行船隊指揮官であったシュトラッサーの指導教官であり、彼の元へは建造/運用上のすべての情報が集約され、これによってツェッペリン硬式飛行船の設計・建造・運航技術が確立されたと言っても過言ではない。

大戦により飛行船は軍用航空機として適していないことが証明されたが、ブルガリアのヤンボルから独領東アフリカまで物資の支援に赴き、地上軍が降伏したため95時間で長躯6800キロメートルを往復した「LZ104」の実績により、大西洋横断に確信が得られたという一面もある。

エッケナー博士はツェッペリン飛行船製造社の経営者としてよりも類い希な飛行船指揮者として世界に知れ渡っていた。

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