2010年12月07日
飛行船時代を創造した人物が居た
飛行船は船であると言うと「何だ。当たり前のことを!」と思われる方もいると思う。
飛行機を開発して運航する迄には当局の数々の審査を受け耐空証明を取得せねばならない。
特に業務として人を乗せる飛行機には、たとえそれが消耗品と言われる軍用機の場合でもとても厳しい審査を経て形式証明を取得せねばならない。
勿論、船舶でも構造強度や主機・補機、内装・外装の各種艤装品、航海機器類はじめ建造の始まる前から図面や計算書を提出して承認を得ることは必要であるが、船舶は飛行機に例えるならば全部試作船と言ってよい。
建造に年月を要し、膨大な費用を掛ける船舶は1隻々々審査するのが当然である。
戦時標準船など数十隻/数百隻建造する場合に省略される審査項目がある程度である。
しかし、船舶は不動産に準じて扱われるが、飛行機はもっと消耗品に近い。
これには異論のある人も居るに違いないが、船舶では旧式になった同型船同士がスペアパーツになって保有隻数が漸減するような飛行機のような事例は聞いたことがない。
その飛行機でも当事者の責任で試験飛行を行うだけであれば、非常に重要な乗客の安全性に関する条件が除かれるので比較的認可が下りやすい。
しかし、旅客機となると実機の破壊試験を含め審査/試験項目は格段と多くなる。
開発に要する膨大な資金や生産設備のために、数百機量産しなくては採算がとれない。
このため、戦後まで多数あった航空機メーカーも淘汰され、アメリカの旅客機メーカーはボーイング一社になってしまった。
話を飛行船に移す。
戦後、硬式飛行船は建造されていないものの、ツェッペリン飛行船技術社の建造した「ツェッペリンNT7型」はいままで4隻建造されている。
アフリカで資源探査にあたっていた1隻が繋留中に突風で破損し、日本で運航されていた1隻が倒産のため解体されたが、フリードリッヒスハーフェンのDZRは運航を継続しており、新造の同型船がアメリカでも運航されている。
飛行船は運航採算にのせることができれば、量産を前提とする飛行機に較べて建造しやすいことを述べたかったのである。
ツェッペリン飛行船も当初、軍用船も遊覧船のような民間船も発注するおらず、エヒターディンゲンの事故で集まった寄付金で飛行船製造会社を設立したものの、何処からも発注がなかった。
この危機を救ったのがアルフレート・コルスマンであった。
アルミニューム材製造会社を経営するカール・ベルクの娘婿で伯爵に請われて経営者になったコルスマンは飛行船を運航する株式会社を作り、バーデン・オース、ドレスデン、デュッセルドルフ、フランクフルト・アム・マイン、ライプチヒ、ポツダムなど多くの都市が株主になり各地に格納庫が建設された。
この会社が飛行船製造社に飛行船を発注し、その飛行船の運航により多くの飛行船要員の養成にも寄与した。
彼は飛行船の新しい需要を開拓して飛行船世界の実現を果たした功労者である。
後にツェッペリン飛行船製造社と運航会社DELAGの経営者となった飛行船船長、フーゴー・エッケナーを広報・渉外担当として伯爵に採用を勧めたのもコルスマンであった。
いま、何処かにかつてのコルスマンのような人物がいたら硬式飛行船の再興も夢ではないと思っている。
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