2010年11月22日
*** 当ブログは2014年5月末に引っ越しました…新しい「紺碧の海」はこちらです ***
「チャイナ・クリッパー」第一便発進
1935年11月22日、パン・アメリカン航空のサンフランシスコ・マニラ間定期航空路の第一便としてマーチンM130「チャイナ・クリッパー」がサンフランシスコを離水した。
サンフランシスコ湾は外海と違って波は穏やかであるが、フェリーだけでなくヨットやプレジャーボートも多いところであり、警戒艇などで滑走海面に進入する妨害船を排除するのは大変であったと想像する。
M130は3艇建造され、それぞれに「チャイナ・クリッパー」、「フィリピン・クリッパー」、「ハワイ・クリッパー」と命名されていたが、1号艇「チャイナ・クリッパー」の印象が強烈で、どれも「チャイナ・クリッパー」と呼ばれていたという。
PAAはカリブ海空路、太平洋空路の飛行艇のニックネームに「××・クリッパー」と名付けていたので飛行艇をさす一般名詞が「クリッパー」だと思っていた人もいたらしい。
ハリウッドでは「チャイナ・クリッパー」という映画も製作された。
写真は中央がパット・オブライエン、右がハンフリー・ボガードである。
"「チャイナ・クリッパー」第一便発進"へのコメントはまだありません。