2010年10月31日
庚寅淡水三芝紀行(7)
三芝郷は淡水鎮の北に隣接しており、彼の李登輝先生の生まれたところである。
1911(明治44)年に小基隆分校として設立され、後に三芝国民学校となった。
当時の三芝は田舎であった。
学校や官舎のまわりは田畑で、農地のなかにマーマレード工場やベーカリーがあり、時間によっては良い香りがしていた。
季節になるとまわりの田圃にホタルが沢山舞っていた。
父は1943(昭和18)年に淡水国民学校からここに転勤となり、翌年5月に教頭となった直後に応召し、台南の部隊に入隊したのである。
淡水の街から直線距離で10kmあまりの内陸部に郷の中心があり、そこに役場(郷公所)も小學も中學もある。
我々が訪問したとき、たまたま廖春蘭校長が出張中のため、教務主任に歓待して貰った。
チャーミングな教務主任さんである。
出張で長崎の稲佐小学校にも行ったことがあるという。
同校は1911(明治44)年4月に小基隆分校としてに創設されて、今年で100周年にあたる。
それを記念して立派な百年史が刊行されていた。
創立百年を記念して立派な資料展示室が設けられていた。
三芝出身の李登輝の揮毫した立派な表札であった。
今年出来上がったばかりの資料室の鍵を開け、教務主任が案内してくれた。
抽斗を開けて幾つも原簿を取り出してくれた中に、父の名があった。
百年史には1909年に、老梅公学校小基隆分校として創設され、2年後に小基隆公学校となり、1941年に三芝国民学校となって以来今日まで600名もの歴任教職員名簿が就任・離任年月日とともに掲載されている。
父は、資料室に保存されていた当時の名簿では1943年3月25日に三芝国民学校へ着任したと明記されている。
同校百年記念誌「三芝百年風華展」巻末の歴任教職員名冊によれば、同年3月31日に着任し1945年末まで在籍したことになっている。
1944年5月5日に教頭に任じられ、1945年6月12日に応召している。
それにしても、この資料室の充実ぶりには感嘆した。
訪問者全員にお土産が用意された。
Tシャツ、マグカップ、栞、創立百年記念誌、それに立派に製本された児童の作品集・・・。
それらが満載された特性トートバッグである。
校長室に戻って、用意されていたビデオを見せて貰い楽しい歓談の時間を過ごした。
教務主任はじめ皆さんの熱烈な歓迎で三芝国小訪問を終えることが出来た。
淡水の街に帰り、夕食は海風餐廳という地元で有名な海鮮レストランで夕食をご馳走になった。
淡水河の魚も蟹も蛤もとても旨かった。
外に出るともうすっかり暗くなっていた。
そこから、朝迎えに来て貰った台北の宿舎まで送って貰った。
本当に、今回の淡水・三芝訪問はおかげさまで素晴らしい里帰りになった。
お世話になった皆様、ありがとうございました。
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