2010年10月27日
「淡水会」のこと
このブログは2005年の春、開設した。
身の回りのことを数行程度書くつもりでいた。
しかし間もなく、1929年にデビューし、長年イギリスの保持していたブルーリボンを奪い返した大西洋航路の画期的パッセンジャー・ライナー「ブレーメン」/「オイローパ」の基本設計・性能を調べたところを自分のメモのようにして載せていた。
調べていくうちに、当時は長距離陸上旅客機が実用化される前で、船舶のほかに渡洋航行出来るのは飛行船と飛行艇のみであり、この3者が競合していたことが判り、飛行艇と飛行船のカテゴリを設けた。
北ドイツロイド社の客船「ブレーメン」/「オイローパ」に関してはウィリアム・ミラー氏やフランク・ブレイナード氏などの記述した英語の文献があったが、さすがにドイツのアーノルド・クルダス氏の著書は記述内容で抜きんでていた。「北大西洋のブルーリボン」は英訳が出ていたが「高速汽船ブレーメン/オイローパ」は原著を購入してむさぼるように読んだ。
飛行船に関する著書は限られており、国内で出版されたものはいい加減な内容のものばかりで原著に頼るしかなかった。
イギリスもアメリカも硬式飛行船を建造したことはあるがドイツの設計を見掛けだけまねたもので、試験飛行中に墜落したり、就航したものでも2年以内に墜落している。
ツェッペリンに関してはドイツの文献を調べるしかなかった。
ドイツ語は学生時代に第2外語で受講して以来すっかりご無沙汰であったので辞書を引きながら読むことになった。
力試しにドイツ語検定試験を受けてみると4級、3級にパスしてしまった。来月は何度目かの2級に挑戦することにしている。
そのほかに幾つかのカテゴリを設けた。
「台湾」のカテゴリを設けたのは2006年の春で、それ以来訪台したときなどの記録を載せていた。
2007年1月にあげたブログにボストンの博士からコメントを貰ったのは2009年8月のことであった。
このときカリフォルニアのCさんとも知り合った。
2010年の3月には横浜在住のKGさんからも連絡を貰い、5月に初めて会うことが出来た。
ボストンの博士は頻繁に米大陸と太平洋を跨いで日本や台湾に行かれている。
「何時か会いましょう。出来るなら淡水で」という話が2010年9月末に実現した。
それを機に個人情報の消息など隣組のように連絡が密になった。
知人の連絡先が判ったり、互いに情報交換が進んだ。
そのなかで戦前淡水に在住していた人たちの「淡水会」の話になった。
博多、広島、高松、熱海など各地持ち回りで、淡水で開催されたこともある。
数十人も参加していたが会員が高齢となり参加者が減少するようになり、何度か終わりにしようと言いながらまだ続いていることを知った。
昨年度の名簿に寄れば会員117名、台湾在住会員9名、平成10年以降に判明した逝去者38名、退会者および転居先不明者31名となっている。
このことを知った博士は次回は淡水で実施すべきで、そのときは自分も参加すると言う。また「淡水会」のウェブサイトを開設すべきで、そうすればお互いの情報交換に有効であろうと言う。
いま「淡水会」でウェブ検索すると、兵庫県立神戸高等学校の同窓会や書道団体のウェブページに繋がり、かつて淡水に在住していた人たちにたどり着くことは出来ない。
ウェブページを開設しようにも「淡水会」ではこれらの団体と混同する。
来月新北市が発足すると台北県淡水鎮は「新北市淡水区」になると聞いた。
これを機に「淡水ウェブサイト(仮称)」としてささやかなウェブページを開設しようかと考えたりしている。
しかし当時16歳であった人も80歳になっているわけで、誰も見てくれないかもしれないと思ったりもするのである。
ただ、たとえ一人でも見てくれる人がいれば開設する意味はあると思いたい。
そのときは2010年9月29日に淡水・三芝に里帰りして皆さんに歓迎されたことを載せるつもりである。
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