2010年10月06日
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庚寅淡水三芝紀行(4)
午前9時に博士が、叔父さんの車で迎えに来てくれた。
10時に淡水鎮公所(市役所)を表敬訪問するように設定してくれていたのである。
車で圓山から士林、北投を通って淡水鎮公所へ向かう。
途中でKGさんと一緒になって鎮公所へ行った。
2階に上がって、総務課長方氏の歓迎挨拶でお茶を戴きながら歓談した。
そのとき、現在編纂中の淡水概史に載せる写真や原稿があったら持参するように言われていたので、それぞれ小さなファイルにしていたものを方氏に手渡した。
鎮公所は実に良いところに在る。
表は中正路に面した市街の中心部である。
事務所一階に入ると、広間の窓越しに淡水河の向こうに観音山が見える。
戦前はこの正面辺りに中州があったが、今は干潮のときに見える程度である。
鎮公所を出るときに、お土産まで貰って総務課長と記念写真を撮った。
前列、向かって右がKG氏、左は車で我々を連れてまわってくれた博士の叔父、G氏である。
後列中央が博士、左が鎮公所の方課長である。
「ここは誰々さんが住んでいた」と説明しながら案内してくれる。
老街は整備され、メインストリートは幅の広い舗装道路になっている。
従ってこの辺りは台北などのような亭子脚はない。
中正路を行く一行。
手前がボストンUSAから帰った博士、右のお二人は当時ここに住んでいた父のことをよく知っているというご婦人である。
KG氏が捜し出してくれたのだと感謝の気持ちで一杯である。
これは市民の描いた藝術を提示した壁である。
丘の上には1899年に建造されたという赤煉瓦造りのレストラン「紅楼」がある。
戦前、その近くに木下静涯画伯が住んでいた。
鎮公所から当時博士や両親の住んでいた処は近い。
当時の様子を聞きながら馬階博士の頭像のある小公園に来た。
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