2010年09月10日
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呂添得氏の送ってくれた写真(1)
「公会堂から観音山を見る。ヤシの木おぼえてゐますか」
父の教え子である呂添得氏は何度か、父に淡水の写真を送ってくれた。
8センチ×6センチくらいの小さなモノクロ写真であったが、一片毎に裏面に文字が書き加えられていた。
今回は3片だけ載せてみる。
「血清製造所から見た英国領事館」
「市場の裏から見た淡水河。中洲は流失したが、いま干潮の時に少し見えます」
父の随想「茜雲」によれば1985年頃、父が戦後初めて台湾に行ったとき、呂氏が大阪にいる息子の処に来て父が台湾から帰って程なく、大阪から訪ねてきてくれたそうである。
ステーションホテルで会い、彼は父がとったシングルに奥さんを入れ、ツインで夜半一時過ぎまで話し込んだという。
ときどき「先生、眠くないですか?」と言いながら、とめどなく話したそうだ。
父は引き揚げてから淡水に行くことは考えられなかったと言っていた。
当時は渡航申請が出来る出来ない以前に、筋肉労働であれ何であれ働いて妻子を養うのに精一杯であった。
そして、そのときが最初で最後だと思っていたが、1991年に淡水会(淡水から引き揚げてきた人の会)を現地でやるときに行った。
そのときは最年長で団長さんであった。
日曜日なのに淡水公学校の校長室も表敬訪問し、夕刻のパーティでは淡水公学校の校歌を歌い、仰げば尊しを2番まで大合唱したという。
そのときの女校長先生が、いま横浜に住むKさんの叔母に当たる陳淑女 女史であったことが本年3月にKさんとのメール交信で判った。
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