2010年09月06日
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龍目井の家
右に見える大きな建物は、当時の淡水郵便局である。
戦時中、教員であった父が応召したあとで母が為替の主任として勤めていたという。
そして塀沿いの平屋建ての木造家屋に我々家族が住んでおり、妹はここで生まれたのである。
この写真は戦後、父の教え子であった呂添得氏が送ってくれたものであると記憶している。
おそらく2枚の写真を切って貼り合わせはのは父であろう。
辛うじて持って帰った数少ない当時の写真であるから、この写真のことは知らないわけではない。
しかし、この家に住んでいたとは今日、初めて知って驚いた。
アルバムにコーナー片で貼り付けてあり、裏返してみたところペンで「裏から見た先生の宿舎」と記されていたのである。
アルバムには、父の字で「淡水郵便局:戦時中時子は「為替主任」で勤めた。傍に小川があり、筋向かいに床屋があった。左端、少しはずれた処から小路があり、入って左2軒目が当時龍目井の宿舎で恭子はここで生まれた。
と書いてある。
この小さな川に掛かる橋は、いまカリフォルニアに住むLCさんのお父さんが請け負って造られたと聞いた。
ちなみに、その写真の上にはやはり貼り合わせられた淡水公会堂の壁だけ残る焼け跡の写真で、郵便局の写真の下には、これも貼り合わせられた淡水公学校の校庭や校舎の写真があり、それぞれ、小さな字で4行、当時を懐かしむ文言がつづられている。
この写真は龍目井の宿舎の前で撮った家族の写真である。
祖母の抱いているのが妹、後ろの二人が両親、向かって右の女学生は当時台北二高女に通っていたマキ子さんである。彼女はいまも元気にしている。
手前に虎の尾(サンスベリア)と大きな竜舌蘭が植えてあったのはよく覚えている。
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