2010年08月23日
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「飛鳥」に乗船していた頃の思い出
昨日・今日、HさんやLCさんからメールを貰って、「飛鳥」に乗船していた頃のことを思い出した。
1993年に初めて乗船したときの船長である初代の稲垣キャプテンから、2代目の石河キャプテン、3代目の野崎キャプテン以降何人かの船長、機関長、船医、ホテルマネジャーとテーブルを共にしたり、話したり、飲んだりした。
戦後のどさくさで転校を重ね、1年半だけ通って卒業した小学校同期の一人がNYKの船長になっていたので、その名前を知っていますかと尋ねると「先輩です。お世話になりました。」と言われたこともある。
さすがにそれぞれ海の男であったが、なかでも野崎利夫キャプテンは好漢で、とても気が合い何度かマリナーズ倶楽部などで飲みながら歓談した。
初めて小笠原クルーズに行ったときも野崎キャプテンであった。
写真は2度目にハウステンボスに行ったとき撮った記念写真からトリミングしたものである。
その野崎キャプテンはその後日本郵船博物館長代理やアスカクラブ会長などを務められていたが2009年7月4日に急に亡くなってしまった。
まだ何度もお話しが出来ると思っていたのでとても残念であった。
何人かの機関長、船医、チーフ・パーサーにも思い出がある。
しかし物事には例外があり、船長のなかにもとても快男児などと呼べない男もいて、その船長が乗ると知って乗船を取り消したこともあった。
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