2010年07月31日

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飛行船四方山話(197):「LZ121」の予定運航航路

LZ121_1.jpg

「ボーデンゼー」の同型船として建造された「ノルトシュテルン」は賠償として取り上げられたが・・

[区分] 飛行船:「LZ121」

[難易度]初級

[問題]
第一次大戦後「LZ120:ボーデンゼー」の同型船として建造された「LZ121」はどの航路で運航される計画だったのでしょうか?

1.ドイツ国内航空路
2.北欧航空路
3.スペイン航空路
4.遊覧飛行用

[答]

[解説]
第一次大戦が終了したとき、1918年11月11日のコンピエーヌの休戦会議で決まったのは1700機の戦闘機と爆撃機を連合国に引き渡すことで、残余の件は1919年6月に調印されたヴェルサイユ条約まで先送りされ、その批准は1920年1月20日でした。
ツェッペリン飛行船製造社では1919年1月27日の役員会議で、ドイツ国内の鉄道および陸上交通の困難な状況に対処するため、約20名の乗客を輸送可能な小型飛行船の建造が提案され、2月12日の会議でパウル・ヤライの設計したその小型飛行船の建造が決定されました。
そして8月中旬に完成したこの「LZ120」は「ボーデンゼー」と命名されました。
8月20/21日の試験飛行を終えると、8月24日から、連合国側から運航停止を命じられるまで3ヶ月にわたってほぼ毎日フリードリッヒスハーフェンとベルリン(シュターケン)の間を運航し続けました。
「LZ121」は改造後の「LZ120」の同型船として、ストックホルムなど北欧航路用に建造され、北極星を意味する「ノルトシュテルン」と命名されました。
しかし、連合国側はこれを認めず「LZ120」はイタリアに譲渡され「エスペリア」となり、「LZ121」はフランスに引き渡されて「メジテラネ」と改名されました。

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