2010年07月27日

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飛行船四方山話(194):賠償として引き渡された飛行船

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第一次大戦後、連合国側に引き渡された飛行船の運命・・

[区分]飛行船:引渡

[難易度]中級

[問題]
終戦後、連合国側に賠償として引き渡された飛行船にはそれぞれの運命が待ち受けていました。
次のうち、航行中に爆発して失われたのはどれでしょうか?

1.フランスに引き渡され「ディズミュード」となった「LZ114」
2.イタリアに引き渡され「エスペリア」となった「LZ120」
3.フランスに引き渡され「メジテラネ」となった「LZ121」
4.アメリカに引き渡され「ロサンゼルス」となった「LZ126」

[答]

[解説]
1918年11月に完成した「LZ114」はドイツ海軍に引き渡す前に終戦を迎えました。
従ってドイツは軍用飛行船ではないと主張しましたが戦利品としてフランスに引き渡すことになり、ドイツの乗組員により1920年7月11日にフランスのモーブージュに空輸されました。そこで大改修が行われ、1923年の夏にフランスの飛行船「ディズミュード」として就役しました。
その後、9月25日からフランスからサハラ砂漠上空を飛行し118時間の滞空記録を樹立するなど活躍しました。
しかし12月18日に、52名の搭乗員によりサハラ砂漠に向かい21日の夜、地中海上空で嵐に遭遇し爆発し生存者は居ませんでした。
終戦の僅か3ヶ月前、ドイツ飛行船隊司令のシュトラッサー中佐を乗せて撃墜された「L70(LZ112)」の同型船でした。
「LZ120」は「ボーデンゼー」の名で終戦直後の混乱のなか、フリードリッヒスハーフェンとベルリン(シュターケン)間を8月24日から12月5日まで、殆ど毎日運航し、2組の乗組員によって38往復し、ストックホルムを訪問したり、ミュンヘンに途中着陸したり大活躍をしていましたが12月に連合国により運航を停止させられ、イタリアに引き渡され「エスペリア」の船名で運航されたましたが、1928年に解体されました。
「LZ121:ノルトシュテルン」は改造後の「LZ120」の同型船でスカンジナビアとの定期航路に就航させる予定でしたが、フランスに引き渡され「メジテラネ」として海軍練習飛行船として使用され、数年後に解体されました。
「LZ126」はアメリカに戦時賠償の代わりに新造、移送、引渡され、アメリカで浮揚ガスをヘリウムに充填し直され「ロサンゼルス」と命名された合衆国海軍飛行船「ZRⅢ」です。
ヴェルサイユ条約で軍用飛行船の建造が禁止されていたので旅客用飛行船として建造されたことはよく知られている通りです。

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