2010年07月26日

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飛行船四方山話(193):柴田少佐の乗船

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[区分] 人物:乗船者

[難易度]中級

[問題]
「グラーフ・ツェッペリン」の世界周航には海軍から藤吉少佐(フリードリッヒスハーフェン→霞ヶ浦)、草鹿少佐(霞ヶ浦→ロサンゼルス)と両名が日本政府代表として乗船することは事前に決まっていましたが、霞ヶ浦から陸軍の柴田少佐が急遽乗船しています。
柴田少佐の乗船はどのように決まったのでしょうか?

1.エッケナー指令が東京滞在中に彼を指名した
2.海軍に対抗して陸軍が乗船を申し入れた
3.DELAGが陸軍に乗船者の人選を依頼した
4.柴田少佐が血書で乗船を志願した

[答」

[解説]
海軍は、潜水艦や飛行船格納庫など第一次大戦の戦時賠償の窓口をしていたこともあり世界周航計画の時点から格納庫の使用や浮揚ガス、燃料ガスの準備など早くからDELAGと連携を深めていました。
従って世界周航に協力する通過各国の政府代表として早くから海軍軍令部の航空参謀であった両少佐が乗船者リストに上がっていたものと思われます。
飛来直前になってこれを知った陸軍は誰かを乗船させたいと考えたのではないかと思います。
霞ヶ浦に飛来したとき「グラーフ・ツェッペリン」は満室だったのですが、3名の日本人乗船者(藤吉少佐、圓地記者、北野記者)とロシア代表のカルクリンが下船し、定員に余裕が出来ていました。
おそらく内々に打診を受けていたエッケナー博士が浜離宮での歓迎夕食会で陸軍参謀本部の航空参謀であった柴田信一少佐を指名したものと思われます。
突然決まった乗船で、大慌てで乗船準備をしたものと思われます。
柴田少佐は後年、軽爆撃機搭乗要員を養成する鉾田陸軍飛行学校の初代校長(少将)を勤めています。


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