2010年07月15日
飛行船四方山話(188):オリエント航行
「グラーフ・ツェッペリン」は世界中を飛び回った・・
[区分] 運航:航行
[難易度]初級
[問題]
「LZ127:グラーフ・ツェッペリン」は1928年の竣工以来、1937年まで世界各地を航行していました。
オリエント航行では海抜零メートル以下を航行したり、エルサレムを上空から訪ねたり、コリント運河やピラミッド、ナイル川を上空から見下ろしたりしていますが、中東航行/オリエント飛行と呼ばれる航行は何回実施されたでしょうか?
1.1回のみ
2.2回
3.3回
4.4回
[答]
2
[解説]
飛行船は、格納庫のなかで維持して行くだけでも、人件費や浮揚ガスの補充などにコストが掛かるので整備/補修期間以外は運航されていました。
第1次航は1928年9月18〜19日だったのですが翌20日には南西ドイツへの第2次航を行い、10月11日から11月1日に最初の訪米飛行を実施して、帰国するとすぐベルリン航行(第9次航)を行っています。
その当時、まだ大新聞社や郵趣家の関心が高まっておらず、商業的に飛行船で航空事業を目論む投資話も具体化しておらず、政府にも助成金など期待出来ませんでした。
それで政府要人を招待して飛行船とその事業に関心を引こうと計画されたのが第1次オリエント飛行でした。
その年の冬は50年に1度という寒さで、1月下旬に氷点下18℃で浮揚したことがあると記録されています。
真冬のドイツからリビエラの早春と東地中海の春を見るために2月24日に出発することにしましたが、2月20日にフリードリッヒスハーフェンで零下24℃になり、出発が3月下旬に延期されています。
乗客のなかにはエーゲ海のクレタ島に着くまで冬のコートを脱がなかった人が居たと言われています。
このときエッケナー博士は遺跡の多いエジプト(当時英国の植民地)上空航行を申請したのですがに行きたかったのですがイギリス政府から許可が下りませんでした。
それで海抜800メートルのエルサレムに行き夜間、海抜−400メートルの死海上空まで下りました。
その後、スペイン飛行、世界周航、オランダ飛行、イギリス飛行などのあと、1931年4月に第2回オリエント飛行を行い、このときはエジプトに着陸しています。
この第2回オリエント飛行を実施する頃には第150次航を越え、8月の訪英飛行のまえに第200次航を実施していました。
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