2010年07月09日

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飛行船四方山話(183):飛行船から放たれた伝書鳩

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当時の飛行船で無線電報は使えたが・・

[区分] サービス:通信

[難易度]中級

[問題]
「グラーフ・ツェッペリン」の世界周航には多くの新聞記者が乗船していましたが、同船に伝書鳩を持ち込んで飛行船からレポートを発信した記者がいました。
誰でしょうか?

1.フランクフルト新聞のマックス・ガイセンヘイナー
2.大阪毎日の圓地與四松
3.大阪朝日の北野吉内
4.電通の白井同風

[答]

[解説]
「グラーフ・ツェッペリン」世界周航で、霞ヶ浦からロサンゼルスまで乗船した電通の白井記者は、およそ20羽の伝書鳩を携えて乗船しました。
(電通は当時、日本電報通信社と言っていましたが、同社の通信事業部門は昭和11年に同盟通信社に引き継がれています)
同船の世界一周飛行には各国から多くの新聞記者が乗船していましたが、無線通信の最も重要な任務は気象情報の交信であったので、各記者が無線室に頼信紙を持ち込んでも発信されずに戻されることもあったようです。
特に日本語(ローマ字)の綴りには不慣れであったため、断られることが多かったようです。大阪毎日の圓地氏が6通もの電報を返却されて面食らった様子をフランクフルト新聞のガイセンヘイナーが乗船記に記しています(それまでの30通は発信されました)。
電通の白井記者は電報では字数、語数が厳しく限定されるため伝書鳩を持ち込んだようです。
昭和4年8月22日付神戸新聞によると「電通特派員白井同風氏は霞ヶ浦出発後約1時間乃至2時間飛翔後通信鳩を放って通信鳩の能力を試験する」ためであったと報じられています。
伝書鳩には欧米の記者も非情に興味を示してこれを借り、通信筒に入れる紙の表にタイプライターでレポートを記し、裏には「通信文を一字でも多く」書き足すために鉛筆で書くと意気込んでいた様子が描かれています。
毎回、通信文を短縮するために暗号のような簡略形を用いて苦労していたようです。


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