2010年07月01日
飛行船四方山話(177):飛行船の乗組員
「ボーデンゼー」は戦勝国側から禁止されるまで驚異的な稼働率で運航されていた・・
[区分] 運航・乗務員
[難易度]中級
[問題]
「LZ120:ボーデンゼー」はフリードリッヒスハーフェンとベルリン(シュターケン)のあいだで定期運航されましたが、その乗組員はどのように配員されていたのでしょうか?
1.短距離なので一組の乗組員で運航されていた
2.2組の乗組員が乗り組み、交替して当直にあたった
3.予備の乗組員を待機させ、各配置ごとに順次交替させた
4.2組の乗組員を編成し、往復するごとに交替した。
[答]
4
[解説]
「LZ120:ボーデンゼー」は第一次大戦後、道路交通も鉄道も麻痺した混乱したドイツ国内の交通機関として非常に活躍しました。
1919年8月20/21日に試験飛行が行われましたが、その3日後の8月24日からフリードリッヒスハーフェンとベルリンのシュターケンのあいだの定期運航を開始し、連合国側からの中止の指示が出るまで104日間に37往復しています。
そのうち12回はミュンヘンに中途着陸を実施し、そのほかにスカンディナビア定期便調査のためにストックホルムにも行っています。
乗客用キャビンは20人の乗客を想定して建造されましたが、1飛行あたり招待客を除いて平均28人の乗客を乗せていました。
定期航路の所要時間は数時間であったので、離陸から着陸まで1編成の乗組員で運航されました。
フレミング船長の指揮する組と、ハイネン船長指揮の2組がありましたが、フリードリッヒスハーフェンを出発してその日のうちシュターケンに着陸し、翌日同じ乗組員でフリードリッヒスハーフェンまで運航され、翌日シュターケンに向かうときに別のクルーにが乗り組んでいました。
「ボーデンゼー」の船上には「赤い天幕」と呼ばれる非番乗組員のための居室やハンモックも用意されていました。
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