2010年06月17日

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飛行船四方山話(163):ロサンゼルス離陸時の危機

LZ127LA_1.jpg

世界周航最大の危機であった・・。

[区分]航行・世界周航

[難易度]初級

[問題]
「グラーフ・ツェッペリン」は、太平洋を渡ってサンフランシスコを表敬訪問したあと、8月26日の朝、ロサンゼルスのマインスフィールド発着場に着陸しました。
ここでハースト新聞社の歓迎会などがありましたが、その日の夕刻「アメリカの世界一周」の目的地であるニューヨークに向かって離陸しました。
ここで、世界周航中最大の危機に遭いますが何とか航行を継続することが出来ました。
そのトラブルとは何でしょうか?

1.燃料ガスが充分に補給できなかった
2.浮揚ガス不足で浮揚出来なかった
3.歓迎会のパーティで乗組員が食中毒にかかった
4.整備のための格納庫建設が間に合わなかった。

[答]

[解説]
アメリカ合衆国の太平洋側には、元々「グラーフ・ツェッペリン」を収容できる大型格納庫はなく、計画当初からマスト繋留して燃料を補給し、その日のうちに離陸する予定でした。
8月25日の夜、サンフランシスコ上空から南下して新聞王ランドルフ・ハーストの豪邸を23時に通過して、午前1時過ぎにはロサンゼルス上空に到達していました。
しかし米海軍と、午前5時前には着陸しないと申し合わせていたので、乗務員と乗客を休ませてロサンゼルス上空で微速巡航していました。
高度500メートルで、ガス温は25℃でしたが、外気温は19℃でした。「グラーフ・ツェッペリン」の場合、気温が1℃下がると浮力が約300キログラム増加します。この気温で飛行船は1800キログラムも軽くなっていました。
長時間周回して待てば気温を下げることも出来ますが10万立方メートルもあるので大変な時間を要します。
それで強制的に着陸するために更に1000立方メートルの浮揚ガスを放出せざるを得ませんでした。
ところが、これほどの浮揚ガスを放出する必要が生じようとは思っていなかったことと、連絡の手違いでロサンゼルスにはこの浮揚ガスを充填するに足る水素が用意されていなかったのです。
あり合わせの水素を補給したのですが飛行船は浮揚しません。
やむを得ず、乗組員の一部を下船させ、別便でレークハーストに向かわせることにしました。エッケナー博士の著書では列車で向かわせたとなっており、フォン・シラーの本では飛行機でとなっていますが、私は飛行機ではなかったかと思っています。
いずれにしても、高度20メートルまで持ち上げるのがやっとで、5基のエンジンを全開して動的浮力で持ち上げるしかほかに方法はありません。
そうして航行を始めたとき、1キロメートル程度前方に高さおよそ40メートルの高圧電線が横切っていました。
このとき昇降舵はクヌート・エッケナーが担当しており、エッケナー博士の指示で仰角をとり、飛行船の船体の3分の1が電線を越えたときに水平に戻して馬術の障害飛越のような容量で、1メートルの差で電線をかわしたと博士は書いています。
しかし、このとき大きい仰角をとったので下部垂直安定板が地表に接触して桁が1本曲がってしまいました。

博士はこのときが一番危なかったと述懐しています。

このあと、山岳地帯を低い高度で超えるためにサンディエゴまで南下して東に転舵したのです。

LZ127LA_2.jpg

これは、そのときマインスフィールドに用意された水素ボンベその他の状況です。


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