2010年06月18日

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飛行船四方山話(164):米海軍の飛行船事故

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ローゼンダールは後にレークハーストの基地指令になった・・

[区分]航行・世界周航

[難易度]初級

[問題]
「グラーフ・ツェッペリン」は1929年8月26日の夕刻、危機一髪でロサンゼルスを離陸して、翌27日にアリゾナ州をカンザスシティに向けて航行していました。
昼夜気温差の大きい大陸性気候は局地的に上昇気流や下降気流が発生しやすく油断できない航行でした。
同船には米海軍のローゼンタール中佐が乗っていましたが、彼は飛行船に乗務中事故に遭いながら九死に一生を得ています。
彼が経験した事故はどれでしょうか?

1.「ZR1:シェナンドア」の乱気流による墜落事故
2.イギリスで建造していた「R38(ZR2になる筈であった)」の試験飛行中の墜落事故
3.「ZRⅢ(ロサンゼルス)」が繋留中に倒立した事故
4.「ZRS4:アクロン」の墜落事故

[答]

[解説」
アメリカ海軍は広大な大西洋、太平洋の哨戒用に硬式飛行船を用いようとしていました。最初の飛行船は、フランスで捕獲されたドイツ海軍飛行船「L49(LZ96)」の資料を参考に、1919年に設計を開始し、フィラデルフィア海軍航空機廠で作り、レークハースト飛行船基地で1922年4月に組立を始め1922年8月20日に初浮揚した「シェナンドア」でした。
当初は「FA−1」という船体番号を付けられましたが後に「ZR−1」と改められています。
浮揚ガスにヘリウムを用いた初めての硬式飛行船でした。
1925年9月2日に「ZR1:シェナンドア」は中西部の諸都市を巡るためレークハーストを出発し3日目の早朝、オハイオ州で雷雨のなか乱気流に巻き込まれ船体は3分割され墜落しました。
指令のザカリー・ランズダウン中佐以下14名が犠牲になりました。生存者は29名で、この中に若き日のローゼンタール中尉が含まれていました。
硬式飛行船の建造に経験のあったイギリスに建造させたたのが「R38」でした。引き渡しを受けて「ZR2」にする予定でしたが、試験飛行で1921年8月24日の第4回試験飛行で墜落し、アメリカ海軍艤装員49名中44名が乗船していた15名が犠牲になりました。
第一次大戦の賠償交渉中にドイツから80万ドルの賠償金の代わりに新造飛行船を現地渡しで提供するという提案を受けて建造されたのが「ZRⅢ(LZ126、ロサンゼルス)」です。
ドイツからレークハーストに移送されたあと、浮揚ガスをヘリウムに充填し直されました。
「ZRⅢ:ロサンゼルス」は1928年8月25日の午後、レークハーストでマスト繋留中に85度という大傾斜を生じました。乗員は乗っていましたが死傷は報告されていません。
「ZRS4:アクロン」は「グラーフ・ツェッペリン」世界周航後の1931年にグッドイヤー・ツェッペリンで建造されています。


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