2010年06月14日
飛行船四方山話(160):霞ヶ浦出発が1日遅れた理由
8月22日に出発したと書いた新聞もあったが・・
[区分]航行・世界周航
[難易度]初級
[問題]
世界周航の最初の寄港地、霞ヶ浦に8月19日に着陸した「グラーフ・ツェッペリン」は22日に出発する予定でしたが、実際に離陸したのは23日の午後でした。
なぜ22日に出発が出来なかったのでしょうか?
1.格納庫から出庫する際の事故で飛行船が損傷したため
2.大型台風が接近して天候状況が離陸に不適であったため
3.乗船者の一人が体調を崩したため
4.出入国手続きに不備があったため
[答]
1
[解説]
8月22日の朝、飛行船は出発準備が完了し格納庫内で乗客も乗り込み、クルーは配置につきました。
飛行船は入庫・出庫の際、横風で壁に押しつけられることのないようにウィンチ台車に載っていました。
格納庫は1916年にユッターボクに建設されたものを移設されたので寸法に余裕がなく出入り口は横の隙間が25センチメートルしかなかったと言われています。
ウィンチ台車の軌条は格納庫のなかに長手方向に敷設され、庫外前方におよそ300メートル延長されていました。
これらは一週間前に先遣された乗船技師、カール・ボイエルレが寄航に備えて準備していたものです。
「グラーフ・ツェッペリン」を載せたウィンチ台車は200人以上の水兵により曳航され格納庫から徐々に前進を始めました。
船体の5分の4が屋外に出たときに事故が起きました。
左舷側で叫び声が上がり、ボイエルレの乗っていた後部エンジンゴンドラに衝撃が伝わり、彼には聞き覚えのある破裂音が聞こえたと言っています。
左舷側の台車が軋み、動かなくなりました。大勢の水兵が曳航しているので急に停まることが出来ず、後部エンジンゴンドラと主船体を結合していた鋼線ワイヤが引きちぎられてしまいました。
直前の軌条清掃が徹底しておらず、台車が礫を踏みつけたことが原因でした。
格納庫担当の士官は皆の前でひどく譴責され、自殺するかと思われましたがエッケナー博士がとりなして事なきに終わりました。
ボイエルレが修繕用資材を準備していたのですぐに応急処置がとられ、夕刻7時には出発できる状態になりました。
しかし運悪く、その日の午後台風が接近しその夜と翌日の午前中は横風が強く、結局送別式典は延期されました。
飛行船に乗客を乗せた状態でエッケナー博士は格納庫の前の椅子で風の衰えるのを待っていましたが、午後3時に出発の指示を出し、公式式典もなく離陸しました。
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