2010年06月12日
飛行船四方山話(158):「グラーフ・ツェッペリン」とハインケル郵便機
ルフトハンザと共同で郵便支援業務。
[区分] 郵便支援
[難易度]中級
[問題]
1930年代のはじめ、航空郵便は急速に進展していましたが、当時の郵便機は航続距離が不足しており、郵嚢をヨーロッパから南米に直接届けることが出来ませんでした。
それで、ドイツから郵便機が南米航路に定期運航していた「グラーフ・ツェッペリン」に郵嚢をリレーし、「グラーフ・ツェッペリン」はそれを空中で受け取って南米大陸まで届けていました。
どのようにして郵嚢を受け渡していたのでしょうか?
1.郵便機からロープで吊り下ろした郵嚢をフックで飛行船に引き寄せた
2.郵便機がカナリア諸島の空港に着陸して郵嚢を下し、飛行船が着陸して積み込んだ
3.郵便機がカナリア諸島の空港に着陸して郵嚢を下し、飛行船がそれを吊り上げた
4.郵便機が大西洋上の島にパラシュートで投下し、それを飛行船が引き上げた。
[答]
3
[解説]
これはDELAGとルフトハンザの協業による郵便支援事業でした。
多くの郵便物は前日の22時に「グラーフ・ツェッペリン」がフリードリッヒスハーフェンを離陸するときに積み込まれていましたが、それに間に合わなかった航空郵便は翌日の午前中にベルリンを離陸する時速300キロのハインケルHe70に積み込まれ大西洋上カナリア諸島のガンド空港(現在のグラン・カナリア国際空港)に運ばれました。
「グラーフ・ツェッペリン」が中間着陸すると、時間も浮揚ガスも無駄に消費することになるので空港上空から郵嚢を吊り上げる方式が考案されました。
郵便機の積んできた郵嚢は荷車に載せて空港の風下側に置かれました。
飛行船は高度およそ100メートルで、なるべく正確に風に向かってゆっくり進み、カラビナハーケンのついた索を下ろして郵嚢をキャッチしました。
郵嚢は重量100キログラムに耐えられるように強化されたものでした。100キログラムを越える場合はこれを何度か繰り返して取り込みました。
南米大陸が大西洋側に張り出したところ、ペルナンブコのレシフェにはユンカースJu52郵便機が待機していたので着陸するとすぐ、それに積み込みましたが、気象状況などで着陸出来ないときはパラシュートで投下しました。
ユンカースはチリのサンチアゴまでそれを届けていました。
航空郵便の返事は8〜10時間後にブエノスアイレスに出発するユンカースに載せられてレシフェに届くので、ベルリンから発信された手紙の返信は7日でサンチアゴから戻ってきたと言われています。
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