2010年06月09日

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飛行船四方山話(155):世界周航の航路

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世界周航のコース選択に当たって何を考えたのか

[区分] 運航・航路

[難易度]中級

[問題]
「LZ127:グラーフ・ツェッペリン」の世界周航は建造中から計画されていました。その航路は何通りか検討されていましたが、当初検討されていたのはどこコースでしょうか?

1.地中海を経てインド洋、南シナ海に出るコース
2.中央アジアの高山地帯の北を抜け、バイカル湖からアムール渓谷を通るコース
3.シベリアを横断し、ヤクーツクから海岸の山脈を越えてオホーツク海に出るコース
4.タクラマカン砂漠、ゴビ砂漠上空から黄海に出るコース

[答]

[解説]
「LZ127」は建造中から世界周航が計画されていました。
ツェッペリン伯爵生誕90周年記念日である1928年7月8日に一人娘、ヘラ・ブランデンシュタイン・ツェッペリン伯爵夫人によって「グラーフ・ツェッペリン」と命名され、残工事の完了した9月18日に初飛行しましたが、その8ヶ月も前の新聞に世界周航の計画が掲載されています。
その記事によればエッケナー博士は4ヶ月以内に竣工し、直ちに大西洋横断飛行と世界周航を実施すると声明しています。
世界周航に要する日数は13〜4日を予定し、ロサンゼルス・シアトル・ウラジオストックに燃料補給所を設ける計画であると発表されました。
しかし実際の世界周航が実施されたとき、燃料補給所は上記の何れにも設定されていません。
独占報道権と引き替えに巨額の資金提供を提案した米ハースト新聞の条件で、発着地点はニューヨークの自由の女神像と指定されました。
偏西風を利用するため東回りに航行することになりますが、エッケナー博士の著書によれば最初は地中海、インド洋を通る南回りが検討されました。
フリードリッヒスハーフェンとレークハーストには本格的な格納庫がありますが、それ以外に日本にはユッターボクにあった軍用格納庫が移設されていたのでこれを利用することにしました。
しかし、地中海、インド洋、南シナ海を通るコースは1万5千キロメートル近くなり、平穏な気候で巡航速度であれば達成出来ない距離ではないが台風の発生する地域を通るので燃料切れを起こす虞もありました。
それで1万キロメートルで航行できるバイカル湖、アムール渓谷を通る第2ルートが検討されましたが、雲や霧で視界の効かない渓谷で南北に聳える山岳に激突する可能性があり、台風の針路でもあるので断念されました。
それで大圏コースに近い第3のシベリアコースに決定されました。
モンゴルや中国奥地を通るコースは気温変化が大きいことと、地理的に正確な情報が得難い不安があったものと思われます。
新大陸ではシアトルではなく、サンフランシスコに向かいましたが、ロッキー山脈を越えるには高く昇らねばならず、浮揚ガスを消耗するのでロサンゼルスにマスト繋留し、浮揚後さらに南下してサンディエゴの南で低くなった山脈を越えています。
最終的に既存の施設を利用して、最小限度のコストで運航されました。


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