2010年05月28日
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淡水郵便局・淡水河・観音山
うちに淡水街の高台から当時の郵便局を撮した写真がある。
上の写真で、父の教え子の呂添得氏が戦後送ってくれたものである。
写真の裏には鉛筆で「公会堂から見た観音山と郵便局」とメモがある。
中央やや左に大きな切妻屋根があるのが郵便局である。
郵便局には母が勤めていたことがあると聞いていた。
為替の係をやっていたらしい。
写真の右にはアーチの並んだ洋風の煉瓦建てが見えるが、戦時中その2階左端の部屋に住んでいたことがある。
電線工事をする3、4人の兵隊が滞在していて、その賄い奉仕をしていたのである。
そのなかに眼鏡を掛けた兵隊がいて、まだ幼い妹は「お父さん」と言っていたらしい。
下の写真は、昨日Kさんにお借りした本に載っているものである。
写真に着色したものであろう。
河面には小さな帆掛け船が映っているがジャンクのような赤茶色に着色している。
上の写真と比べると、洋館建ての屋根の形が変わっているのが判る。
記憶では郵便局の大きな建物の真後ろか、やや左手上流側かと思っていたが、少し下流寄りだったことが判る。
これはその場所の航空写真で、中央にL字型の郵便局の建物が見える。
下辺やや左に公会堂の本館と、それに直交する洋館がある。
その右、河畔に見える寄せ棟のやや長い屋根がアーチの並んだ洋風煉瓦建てらしい。
知らなかったことや、勝手に想像していたことが少しずつ判るというのは嬉しいものである。
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