2010年05月19日
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森 鴎外
ここにスティックメモがある。
大きさは75ミリ×105ミリ程度である。
400字詰め原稿用紙のデザインである。
島根県立石見美術館で2006年の夏、「森鴎外と美術」展示会が開催されたときに作られたものらしい。
鴎外の本名は林太郎である。
石見国、津和野藩主亀井家の御典医であった森家に文久2(1862)年に生まれた。
医学を学ぶためにドイツに留学する希望から陸軍に入り、軍医となった。
第一次大戦以降、夏目漱石と並ぶ文豪と言われた。
晩年、帝国博物館館長や帝国美術院初代院長などを務めているので、件の展示会が催されたのであろう。
軍医としての最高位、軍医総監にまでなったが、日本陸軍の脚気惨害をめぐる森の責任に関する議論は絶えない。
(米食を麦食にすれば脚気が激減することが知られており、海軍では兵食を麦飯として対処したが、日清戦争中に脚気でなくなった陸軍兵士は戦死者の10倍をはるかに超えていたという)
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