2010年04月24日

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世界周航の乗船者

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「LZ127:グラーフ・ツェッペリン」世界周航時の乗船者についての概略は既刊の文献で判明しているが、区間乗船者については一部不詳のままになっている。

また、霞ヶ浦からロサンゼルスまで乗船した日本人は3人であったが、このうち海軍軍令部の草鹿龍之介少佐、電通の白井同風記者は事前に決まっていたが、陸軍参謀本部の柴田信一少佐が乗船した経緯についてはよくわからなかった。

フリードリッヒスハーフェンから霞ヶ浦までは藤吉少佐、霞ヶ浦からロサンゼルスまでは草鹿少佐が日本政府を代表して乗船することになっていることを知った陸軍が急遽乗船させることを決めたという説もあった。

フランクフルター・ツァイトゥンクなどの特派員であったガイセンヘイナーの乗船記でその経緯が判った。

フリードリッヒスハーフェンから1万キロメートルを4日航行して霞ヶ浦に到着した主要乗務員と乗客は歓迎行事攻めに遭ったが、柴田少佐の乗船はある歓迎行事でエッケナーの発言で実現したと述べられている。

いきなり乗船することになった本人は、海外渡航手続きなどで準備がたいへんであったのではないかと思う。

この周航ではロサンゼルスで着陸時に大量の浮揚ガスを放出したため、揚力不足から同地で乗組員の一部を下船させている。
同船の飛行船長であったフォン・シラー氏の著書によれば、下船した乗務員は飛行機でレークハーストまで行ったと記述されていた。
戦後、国内で出版された某書によれば「(前略)何人かの乗客と荷物を下ろし、彼らは不満気に列車でレークハーストに向かった。(後略)」とあり、大陸横断鉄道では一体何日掛かるのだろうと疑問に感じていたものである。
(この区間の乗船客は、日本人3名が下船したので17名であり、飛行船を下りて別便でレークハーストに向かったものは居ない。一時下船させたのは乗務員の一部である。)

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